こんにちは、千葉DRONE WALKERです。

ドローンの活用は始まったばかりですが、急速に進化しているのを感じます。空を飛びたいと人が願い動力飛行を実現してから、まだ百年ちょっと。これからドローンはどうなるのか?誰が、どうするのか?答えのない問いが私の心に浮かんでは消えます。

考えているだけでは仕方ないので、人が乗る航空機が始まった頃を見てみよう。と思いました。航空機の歴史は本を何冊も書くことの出来る話題なので、そこは絞って「日本の軍用ではない航空機が始まった頃」で、いきます。

避けて通れないのはライト兄弟です。彼らが有人動力飛行を成功させたのが1903年。これが世界初とされてます。しかし、諸説あるらしいのです。
グスターヴ・ホワイトヘッドという人の1901年説が、それです。話が脇に行っちゃいますので、ここでは飛ばします(飛行機だけに)。でも、ホワイトヘッド氏は覚えていて損はないですよ。ホワイトヘッド説を推す人も多いそうですし、ヘリコプターの開発にも関係があるらしいですから。

航空関係の「初」は、多すぎて笑うしかない

欧米中心の飛行機ムーヴメントが、極東の日本に届いたのは、ライト兄弟の飛行成功からわずか7年後の1910(明治43)年。東京にある代々木錬兵場で、徳川好敏(よしとし)大尉が日本での初飛行を果たしました。
はやいですね。当たり前だけど海外旅行は船ですよ。海外へ行くのに何週間もかかる時代です。西洋の文明を貪欲に吸収しようとした、当時の気合の様なものを感じますよね。

しかし、この日本初飛行にも物言いがついています。日本陸軍の日野熊蔵氏が先だという説があります。これは12月14日(日野氏)か12月19日(徳川氏)か、という数日の差です。この2人は飛行機を学ぶため一緒にフランスへ行っているので、これはもう、どっちもどっちな感じですよね。徳川氏は公式の場で飛んでいるし、記録も飛行もしっかりとしているのが歴史として認められている理由らしいです。
さて、これは軍用としての話。私たちが飛ばすドローンと同じ民間の話は、これから始まります。
まず航空関係で「初モノ」を調べなければいけません。すると、どうでしょう……たくさん出てきます。ある程度絞って列記してみると

•日本初飛行の地(東京都)
•国産飛行機発祥の地(東京都)
•航空発祥の地(埼玉県)
•民間航空発祥の地(千葉県)
•民間航空発祥の地(徳島県)
•海上航空発祥の地(鹿児島県)

航空機というのはロマンなんでしょうね。ビックリするくらい「発祥の地」が多いです。飛ぶという行為は、そこまで人の心に火を付けるのでしょうか?
絞って書いたのは、かなり増えてしまうからです。もはや業の深さを感じる数です。しかも民間航空の発祥が2カ所もある。なぜダブったのか?と双方に聞きたいところです。
調べると千葉の方が年代がはやいので、私はこちらを勝手に「東の発祥の地」としてしまいます。歴史は後から解釈が変わるので、性急に断定しない方が良いんですよね。
千葉と徳島って個人的には似てると思ってるんですよね。駅前に「そごう」があるし「アワ」という地名があるし。さつまいもが有名だし。

民間航空発祥の地は、意外にも海岸だった!

さっそく民間航空発祥の地へ行ってみましょう。公共交通機関を使うとJR京葉線「稲毛(いなげ)海岸駅」が最寄り駅になります。北口から稲毛浅間(いなげせんげん)神社方向を目指して下さい。
車だと、東関東自動車道(湾岸市川~潮来)から湾岸習志野で下り、国道357線経由、国道14号線を下って行き、稲毛浅間神社の手前を右折します。

団地が整然と並ぶ街並みの中に大きな公園があり、ど真ん中には機関車(本物)と敷地の隅には冒頭に写真を貼った、翼を模した大きな記念碑が建っています。
記念碑はとても立派で、その北側には次のような文が刻まれています。

記念碑のまわりに柵があり、文字が良く見えません。写真を何枚か撮り、解読したのが右側の文です。
碑文なので文脈よりレイアウト優先ですね。「この海浜」と書かれていますが「稲毛海岸駅」のことではありません。昔、この記念碑が建っていた場所は海岸だったのです。戦後の高度成長期に埋め立てが行われ、現在は海岸線が1,2キロメートル沖へ南下しました。旧海岸線は先ほど目印にした稲毛浅間神社だったのです。

稲毛浅間神社入口(写真左)と、国道14号を挟んで建つ鳥居(写真右)

写真の左が浅間神社入口の鳥居。その向かい、国道14号線を挟んだ道路の反対側に、もう一つ謎の鳥居が見えます。こちらの鳥居は昔、海の中にあったそうです。厳島神社の鳥居みたいですね。
こちらの鳥居の向こうは、浅瀬の干潟が遠くまで続いていたそうです。飛行機を干潟で滑走させようと考えたのですね。
これは整地の必要がないのと、摩擦係数を減らすというダブル効果が期待でき、合理的です。

「ああ、ここで日本の民間航空の歴史が始まったのか!」という厳かさが……あまりない。
公園で遊ぶ子供の歓声と、団地の中にある穏やかな空気に包まれています。そんな場所でした。

記念碑の南側には、当時の飛行機「鳳(おおとり)号」の図と諸元が記されていました。
正式には「奈良原式4号鳳号」と書かれています。調べると鳳号のレプリカが、海岸沿いの「稲毛民間航空記念館」にあるそうです。そこへ行ってみましょうか。

ここで私の心に、2つの謎が浮かび上がりました。
1つは「なぜ記念碑と記念館が遠く離れているのか?」記念碑のある公園は広いんですよ。記念館くらいは建てられると思うのです。なのに、どうして海岸の公園に建てたのか?
もう1つは、どうでも良いと思いますが写真を見て同じ感想を抱いた方もいるでしょう。そしてモヤモヤしてるでしょう。そうです!
碑文に書かれてる「伊藤音次郎」の文字です。「次」の字が、なぜ小さい……気になって仕方ない。

民間航空記念館は広大な敷地をもつ公園の中にあった

JR稲毛海岸駅南口から車でもバスでも5分くらいで到着する稲毛海浜公園。スマートフォンには徒歩22分と表示されています。恐らく30分は見たほうが良いでしょう。

地図のナビゲーションに従うと、第2駐車場というところに到着。普通車3時間まで300円。以降1時間毎100円。最大料金は600円/日。写真で大きく見える「2000円」の文字は大型車の料金です。駐車場が安いので車を持っている方は、これを使うと良いかもしれません。ちなみに2輪は別の場所で無料でした。(料金は2017年6月現在)

さて、矢印通りに行きましょうか。いや、近くに案内板があるじゃないですか。この公園、とても広いので場所を確認しておきましょう。

なんでしょう。パッと見かなり充実した公園のようです。ヨットハーバーなんかセレブの香りが漂いますね。その割には平日のせいか人が少ないです。って言うか、公園独り占め状態。
そして目当ての稲毛民間航空記念館ですが……この看板の、真裏の様です。

ああ、さっきから私の目にチラっと見えていた建物ですね。本当は、この建物なんじゃないかな、と思っていました。案内板を見るまでもなかった。と思いながら近づくと……

綺麗な建物ですが、人が少ない。

しかも無料。タダより安いものはないって、俗な言い方があります。ちょっと嬉しいですよ無料。
せっかく無料で公開しているので、中をご覧頂きたい方は現地へ行ってみて下さい。ほかのサイトでチラっと紹介されているんですが、私は記念館の心意気を買い、中の写真は遠慮します。
月曜は休館日です。

館内には、「鳳号」のレプリカや、当時の飛行場のジオラマがありました。やはり干潟を滑走させていたようです。干潟なので引き潮の時しか離着陸が出来なかったと書いてありました。ちょっと内容をご紹介。

1911年(明治44年)に奈良原氏は、所沢の軍用飛行場にて自身で考案した「奈良原式2号機」の飛行に成功した。(所沢の飛行場は他にも国産飛行機が製作されており、パイロットも育成していました。埼玉県が「航空発祥の地」である理由ですね。現在は所沢航空発祥記念館があります)
1912年(明治45年)5月、奈良原三次氏は日本初の民間飛行場を、この地に開設しました。やはり整地が不要であるという理由と「用地買収が容易であった」というのも大きかったようです。
お金の面は盲点でしたが、重要ですね。その後は、奈良原氏の弟子たちが飛行機の開発、製作と操縦訓練を柱に、稲毛で事業化に取り組んだそうです。先ほどの記念碑に名前のあった伊藤音次郎氏などですね。

ちょっと気になったのが、記念碑に書いてあった鳳号と、記念館に書いてある鳳号の諸元が少々違うのでは……と思うのですが、どうなのでしょう?何度も私はカメラの画像を見直しましたが。
この違いも、現地で見つけてね。(記念館の回し者ではありません)
記念碑にある諸元はコレ!参考までに私の撮った、記念碑の諸元を載せておきます。

他にも国産旅客機の第1号である「YS-11」のプロペラや、機体のミニチュアなど色々あります。

民間航空のパイオニアを支えたものは一体何だろう?

黎明期の飛行機乗りは、自分で飛行場をつくり、飛行機も自分でつくり、パイロットも養成する。本当に大変な事です。
記念館の入り口のドアを入ると、すぐに大きなモノクロ写真のパネルがあります。当時、飛行機を飛ばそうとしている人々のシルエット写真です。それが壁一面に貼られているのです。

一体何が、この人たちを支えたのだろう?見知らぬ技術への好奇心、空への情熱、未来への期待、それとも他のもっと何か……実際のところは本人にしかわからないのでしょう。

かつて鳳号が飛んだという東京湾の様子を見ると、少しは当時の人の気持ちがわかるのでしょうか?
私は公園を海の方向へ進みました。ちょっと道がわかりずらいです。皆様は迷わないようにして下さい。
スマートフォンのマップ必須です。それくらい広くて道が曲がりくねっています。
ようやく何人かの人とすれ違いました。良かった、人がいた。そして海の近くまで来ると潮の香りが強くなり潮騒が聞こえるので、ここでやっと海があるとわかります。

海辺の松林。この公園は広すぎて端が見えない。この道はどこまで続くのでしょう?
そういえば、記念碑にあった鳳号の諸元が書いてあるプレートに松が描かれていました。埋め立てても昔の風景を再現するなんて、ちょっと粋じゃないですか。
海が木々の間(写真だと右側)からチラッとみえています。行きたいな、海。叫びたいな、水平線に。

私たちは何をすべきか?と、思えるようになった

この辺りは昔、練習機たちが空高く飛んでいたのでしょう。諸元を見ると時速70キロメートルでしたね。空の上だと、かなりの低速に見えるはずです。

今は、この空の上に羽田を目指す旅客機が、空港に向け低空飛行をしています。
羽田は離着陸が多いので、頭上の飛行機の次に、すでに2機くらい飛んでいるのが見えます。目測で2分おきくらいの間隔でしょうか。

奈良原氏が、この地で飛行場をつくってから100年と少し。飛行技術は格段に進歩しました。これには恐らく戦争の影響も多いかと思います。
確かに、民間機はその技術を頂いていたのでしょう。しかし「なぜ飛ぶのか」「どう飛ぶのか」さらに「飛行機の未来」という話では軍事と民間では全く違うのだと思います。

民間機の始まりを見ても、私にはわからない事が増えたばかりでした。なぜ、あんなにも「飛ぶこと」が人を駆り立てるのか?
飛行に尽くした人たちが何を思い、何を願っていたのか?
そして、なぜ発祥の地と記念館がはなれているのか?音次郎の「次」の字が小さい理由も。
私の胸の中には、消化できない思いだけが残りました。

活用の黎明期ともいえるドローンの将来を見据えるとき、私たちは先人の様な思いを引き継げるのでしょうか?
いや引き継がなければいけないのだと思います。ドローンを「なぜ飛ばすのか」「どう飛ばすのか」そして「ドローンの未来」
熱い思いで飛行機の黎明期を支えた人達。ドローンの黎明期を生きる私たちは、先人の思いに応え、何をするべきか、彼らにどういう答えを出すべきか?かつてと同じであろう東京湾の波を見ながら、そう思った旅でした。